「いざ」と「ここぞ」のタイミング

見守る

予定がない土曜は実家に出向くのですが、120%メンタルを炎上して帰宅する。

只今メンタルが炎上したままパソコンに向かいブログ更新。

ブログで心を鎮めよう。よって内容が荒れ気味になるかと。

実家に出向けば母と2人という訳ではなく、ヘルパーさんや兄夫婦や近所の人達等 “母親以外と話しができる” というワンクッションがあるので、事なきを得ている始末。

母親相手に穏やかになれんもんかと、終わりなき自問自答の繰り返し。

親孝行するとか親には感謝するとか、ど正論っちゃーど正論な世の中の風潮。

それが当たり前だと思うし「親孝行してます」の人から見たら「親不孝者=悪」でしょうし「親孝行=善人」が正解なんでしょうね。

親孝行してます。親孝行します。親に感謝します。って、本当に聞こえがイイ。

でもね・・って話し。

私のように「でもね」と思う人は世の中にどのくらいの割合でいるのでしょうか?

親に感謝しかないと純粋に思える人は世の中にどのくらいの割合でいるのでしょうか?

親に感謝しかないと思える人は、お前さん幸せだぜ!の一言に尽きるけれど、もしかしたら親が子供のために我慢の人生を送っていたりして(オイオイ・・腹黒いとこ出てる)

まあ、人の心の内なんてワカランもんですから。

家族より、そこから一歩外に出た人達の方がもっとワカラン。

人の心の内なんぞ。

心の内は、いざという時に分かるものです。「いざ」という時。

なんですか?いざって。まあ色々ありますけど。

その「いざ」の時こそ出るものに嘘はないと思ってます。ハイ。

あともう一つ。人は「ここぞ」という時に動くのが一番しっくりくる。
ここぞの時以外に動くと、噛み合わない噛み合わない。まーーー噛み合わない。

親子も夫婦も友人も職場も近所も、ここぞじゃない時は放っておくに限るね。放っておくはちょっと語弊があるけど、良く言えば見守るってやつ。

職場で、放っておいてくれない人と一緒に仕事するのは、体力気力共に消耗する。放っておいてくれない人と関わると、放っておく自分が薄情に思う瞬間もあってどっちが正しいのか混乱する。

「いざ」と「ここぞ」の時に手を差し伸べれば良いのかもね。多分。

でも、そのタイミングが人によって違うのもまた事実。

そんな時はどーすっぺ???(笑)

うちの母親に限っては悠長に見守っていたらアウト。会う度に「いざ」も「ここぞ」も通り越して「炎上」ですわ。

それに私も外ではカッコつけて良い人ぶってるけど、身内には、とても口うるさい。最悪。

これ性分かなーーダメじゃん(^^; まったくなんの話しをしているやら。

あーーーーーーー少しスッキリ。心リセット。

連日のオリンピックにも元気と勇気をもらう。

水泳やバレーボール等、観たままに歓喜できる競技もあれば、スケボーやフェンシング等、どこがどう得点に繋がっているのかイマイチ分からず、歓喜のタイミングがズレる競技もまたあり(^^;