6月29日は、15歳で天国へと旅立って行った我が家のコーギー犬の誕生日。犬の名前はクニコ。当時は 犬ブログ を書いていました。犬ブログ上での晩年の愛称は クニコ婆サマ。普段、家族や近所で呼ぶ愛称はくうちゃん。今日はいつも呼んでいた愛称・くうちゃんで書こうかな(*^^*)
今年の8月に、くうちゃんが亡くなって1年が経ちます。15年もの長い期間を共に過ごすと、季節の移り変わりやイベントはもちろんの事、普段の何気ない毎日に、いつも隣に居たくうちゃんが居ないのは正直寂しい。
くうちゃんが亡くなってすぐの頃、ペットロスで心がボキボキっと折れまくっていた時、運転中のラジオからたまたま流れてきた懐かしい曲。シンディローパーの “true colors”
「この道中の短時間にどストライクな曲が流れる奇跡って。感謝感激ラジオサマ」
久しぶりの歌声と今の心境どストライクなバラードに、歌詞はイマイチ分からないけれど救われた気がして、今でも時折り聴きたくなる自分の中のペットロス緩和曲。シンディローパーの曲はどの曲も素敵なんですけど、パンチの効いた歌声にこの曲はホント沁みる・・よね(*^^*)
えーーと、何の話しだったか??
そうそう、月曜の事。数ミリほどの小さな部品を誤って掃除機で吸ってしまい困った。それがないと先に進めないので探すしかない。掃除機の紙パックを取り外し、新聞紙の上に紙パックの中身を全部ほじくり出した。
ほじくり出す最中に、ゴミとホコリに紛れてふわーーーっとくうちゃんの匂い。
懐かしい匂い「ザ・くうちゃん臭」
コーギー犬は抜け毛が半端ない。毎日、くうちゃんの恐ろしく抜ける毛を掃除機で吸っていたためか、くうちゃんが亡くなってもうすぐ一年が経つというのに、その間に紙パックも交換しているというのに、掃除機の中からほんのり漂う「ザ・くうちゃん臭」にテンションアップ。
こうなると部品よりくうちゃん臭に気を取られ、ホコリに紛れてくうちゃんの毛らしき物も発見したりして、探す目的が完全に入れ替わった。毛を探しつつ合間に部品を探すという逆転。しばしくうちゃん臭を堪能した。幸い部品も見つかった。
それにしても、写真や動画と違って、匂いは懐かしさを倍増させる。
まだくうちゃんの遺骨は家にあります。骨壺の中のくうちゃんに毎日しょーもない事を話しかけていますが、頭の片隅には、然るべき場所にて供養してあげなければと思うものの、人間のように特に決まり事がないため、未だ踏ん切りがつかず。
父の日にお墓参りに行ってきた。今までは、お墓参りや供養というのは故人の為ものだと思っていたけれど、父親を亡くしてからは、お墓参りや供養は残された人の為でもあると。
何よりも、花とは無縁で生きてきたこの私が、亡き親・亡き犬を想っていつも花を買うなんて、おったまげ。驚き桃の木山椒の木。やっぱり人生って一寸先は何とやら(*^^*)